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Halloween-1



「東京に木枯らし一号」いうニュースが届いた。
米国はまもなく夏時間から冬時間に切り替わり、ニューヨークには早くも「土曜日に雪」の天気予報マークが登場した。
街の様相も、人々の気持ちも、確実に冬のホリデーシーズンに向けて準備が始まっている。

ハロウィンは、日本でいうお盆のような行事である。
死者の霊が家族を訪ねてくる収穫感謝祭の時、精霊や魔女が家に入ってくるのを防ぐために、さまざまな「魔除け」の趣向を凝らす。
子供達が変装して近所を徘徊する「トリック・オア・トリート」も、カボチャに表情をつけて玄関に飾る「ジャック・オー・ランタン」も、本来は悪い霊を怖がらせるためのものなのだ。
(自分達の御先祖様が自分の家を怖がって入ってこられないのではという懸念を、昔の人は持っていなかったのか、いささか疑問ではあるが。)

各家庭では、数キロのトリート(お菓子)を準備して、まもなく当日を迎える。
ナッツアレルギーの子供達が多くなった昨今、「スニッカーズ」も「M&M’s」もトリート用の籠には入れておけないというのが常識になりつつある。
ハロウィン、サンクスギビング、クリスマス・・・。まだまだ出費が嵩みそうな気配。

Halloween-5


After we heard the news of "First cold wintry wind in Tokyo", the weather
forecast has marked "snow" in New York on this Saturday.
The U.S. will switch from summer to winter time soon.
Both the city and people are starting to prepare for the winter holiday
season, certainly.

Halloween is an event like Japanese Obon.
When the spirits of dead come to visit the family, people set various
"amulet" to prevent wrong dead spirits and witches from entering the
house.
Kids go around the neighborhood for "trick or treat", and we decorate the
pumpkin "jack-o-lantern".
They originally intended to scare the bad spirits.
(I doubt that the old people had concern that the spirits of dead of their
ancestors could not enter into their own homes.)

Each family prepares a few pounds of " treat ", and is ready to celebrate
the day.
Leaving the treat basket without "Snickers" and "M&M's" is becoming
common sense, since there are a nut allergy children recently.

Halloween, Thanksgiving, Christmas .... we have to spend much money in
the holiday season.

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またしてもと呆れられそうであるが、彼らがニューヨークに来ると聞いて黙っているわけにはいかなかった。
「万障繰り合わせ」の言葉通り、少々無理をしてスケジュールを調整し、チェルシー地区にあるコンサート会場に駆け付けた。
由緒ある建物を改築したライブハウス、そこはすでに人だかりの山。
とはいっても、日本では考えられないほどの至近距離。

震災後に日本中で流れていたという「何度でも」で、幕が開ける。
トリの「うれしい楽しい大好き」、そしてアンコールの「未来予想図Ⅱ」「LOVE LOVE LOVE」まで、あっという間の2時間だった。
日本のコンサート会場とは違い、凝った仕掛けも何もない「実力勝負」だけの舞台で、愛と魂をこめて堂々と歌い踊る姿に、酔いしれた。

「離れている故郷で大震災が起きて、やりきれない想いでアメリカにいる皆の気持ち、全部受けとめるよ。そのエネルギーを必ず日本に持って帰って伝えるから」
コロンブスがアメリカ大陸に上陸した記念すべき日から500年以上が経って、私は日本の誇りをニューヨークで再び体感することができた。
(北米ツアー最終日(10月10日)は米国の祝日(コロンバスデー)であったが、日本時間の「11日」であったことにも意味があったのだろう。)

彼らのデビュー以来、私はずっとその歌声に励まされてきた。
最愛の人を失った彼女が沈黙の時間を打ち破り、2007年大晦日に紅白歌合戦の舞台に登場した時、音楽がこれほどまでに人の心を救うのかと涙が止まらなかった。
本当の痛みを知っている人だからこそ、人の痛みを癒すことができるのだと思う。
「もっと優しく、もっと強くなるように」神様は試練を与えるのかもしれない。

自分が辛い時こそ、顔を上げて周囲を見渡してみる。
とっても辛いけれど、心にぽっと灯りを点して、自分に何ができるかを考える。
たった1ミリの前進がこんなにも大変なこと、きっと誰もが分かってくれる。
たった1ミリの勇気も、振り返ってみるとすべてが愛おしい自分の歴史になっている。

彼女は歌声だけでなく、自身の生き方そのものが、私達に感動をくれる最高の贈り物。

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I could not keep quiet even I heard they come to New York.
I forced to arrange my schedule, and I rushed to the concert venue in
Chelsea, a livehouse renovated from a historic building.
There were already mountains of the crowd, but the stage was close
enough.

The concert began with the " Nandodemo" which flowed in Japan after
the earthquake.
Two hours passed so quick, that finished with "Ureshii Tanoshii Daisuki",
and encore of "Miraiyosouzu Ⅱ" & " LOVE LOVE LOVE. "
Unlike the concert venue in Japan, there are no gimmicks, nothing fancy
on stage.
I really excited their performance with soul love.

"We guess all Japanese people in the U.S. might have something worried
to your family in Japan after the earthquake in March. Tonight, we will
receive your energy of everybody in the U.S. and will get back to your family
and friends in Japan."
More than 500 years after that memorable day Columbus landed in America,
I was able to experience the pride of Japan in New York again.
(The last day of North American tour was held on October 10th, Columbus
day in the U.S., And there are meanings it was day of 11th (Japan time).)

Since their debut, I've always been encouraged by their voice.
When she appeared on the stage of Red and White Singing Contest on
New Year's Eve 2007, she broke the silence time of the lost loved one.
My tears could not stop since I noticed her music saved the human mind so
much.
From what she knows the pain of real people, she can heal the pain.
"More gentle, more strongly so that" God might give the test.

When I have too much something hard, I try to look up to the view of the
surrounding.
It might very hard, but try to put small light in mind, consider what I can
do myself.
The progress in just one millimeter, surely everyone knows that.
Only the courage of one millimeter becomes in the lovely history of mine,
all in retrospect.

Not only her singing but her way of life, always give us the courage for life
as the best gift.

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ParkAve2


将来に不安を抱きながらも、日々の課題をやり遂げるだけで精一杯だった留学時代、某日本企業からニューヨークに研修派遣されてきた方々と知り合う機会があった。
地下鉄代さえ節約しなければと、毎日片道40分近くの道のりを歩いて通学していた私にとって、社会人の彼らの生活スタイルは天上の人のそれのようにさえ感じられた。
年下の学友と一緒に、平日は必死に勉強して、せめて週末のひとときだけでもと、彼らと共有する時間を捻出した。
飲んで騒いで夜通し語り合った日々の思い出は、彼らの帰国と共に封印され、私達は再び地味で真面目な(?)学生生活に戻った。

12年という歳月が流れて、私達は再会した。
全員が、12年前に保証されていた肩書をすべて捨てて、あの頃には想像できなかったような人生を歩いていた。

12年ぶりに、私達は語り合った。
余裕綽々で過ごしているかのように見えたあの頃の彼らも、実は焦燥感と危機感でいっぱいだったのだということを知って、なぜか私は嬉しくなった。
肩肘張って生きようとしていたあの頃に比べて、私達はずっと素直に本音を分かち合えるようになった気がした。
12年という空白の時間がそれぞれの人生に課した問題はこんなにも違ったけれど、巡り巡って再びつながった御縁はきっと必然であったのだろう。

人にはそれぞれ役割分担というのがあって、持って生まれた男女の役割の違いと同じように、社会における自分のあり方も人それぞれであるのが当然。
12年前と同じように、私は今でも自分の将来が不安だし、胸を張って軌跡を語れるような人生を送れているわけもない。

けれど、誰にも負けないほど、日本が大好きで、日本を誇りに思っている。
そんな気持ちをつなげる役割として、自分がここにいることを幸福に思う。

「未来に先回りして点と点を繋げて見ることはできない。君たちにできるのは過去を振り返って繋げることだけなんだ。だからこそバラバラの点であっても将来それが何らかのかたちで繋がっていくと信じなくてはならない」

故スティーブ・ジョブズ氏の教えが、今まさに実感される。


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When I studied to accomplish my daily subjects, holding while uneasy about
the future, I had a chance to meet guys who had been dispatched to New
York from certain Japanese company.
Since I had to save even traffic fee, I walked to the school near the 40
minutes journey each way every day.
Their social life style seemed as if it was about heavenly people.
With a younger classmate, I studied very hard every day, to squeeze time to
share with them only for weekend.

Our memories we ate, drunk, and talked through the night were sealed
together on their return home, and we were back to serious student life.

We have reunited after 12 years flow.
Everyone, throw away all the titles that were guaranteed 12 years ago, has
been walking the different life we could not imagine such a life in those
days.

We talked again through the night after 12 years flow.
I was little pleased that I knew they were very anxious even in those days
they seemed to spend if they have enough and to spare.

Compared to those days, I felt that now much more straightforward than
sharing the real intention.
Each faced each issue of life imposes in 12 years, but we might met again
on the destiny.

There are the roles of each, just like the different roles of men and women
born with naturally, and people vary by individual but also of their way in
society.
Just like 12 years ago, I was worried about my future but even now, and I
don't have any experience that can talk about life behind a trail with
confidence.

But, as second to none, I love Japan, and I am proud of Japan.
I feel myself happy to be here as the role to connect such a feeling.

That was definitely the teachings of Mr. Steve Jobs.
We are proud of you, Steve.
Thank you, and we love you forever.


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「日本の古き佳きものを再び世界へ」シンちゃん(EPLGA代表)
http://www.eplga.co.jp/
「デザインの力で世の中を豊かに、周囲の人達を幸せに」トヨちゃん(DESIGNPHIL取締役)
http://www.designphil.co.jp/
「器用な手先は日本の誇り」チハル(FUGA主宰)
http://www.fuga.cc/

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つい半月前は半袖で過ごしていたというのに、この数日は朝の冷え込みが激しくダウンジャケットを取り出した。
四季折々の表情をゆっくり堪能できる日本とは違って、ニューヨークの秋は短く、あっという間に極寒の冬へと季節は流れていく。
ノースリーブの後は、すぐに真冬のコートが必要な土地柄、夏用サンダルか冬用ブーツしか持たなくなって久しい。
しかしこんなにも短い「秋」が、ニューヨークにとっては最も美しい季節でもあるのだ。
朝晩急激に冷え込むこの温度差が、世にも美しい紅葉を生み出し、ホリデーシーズンに向けて街のデコレーションが一気に華やかに色づいていく。

現実の生活は、映画のようにロマンチックなものではないけれど、セントラルパークから望む高い空も、故郷日本の空とつながっているのだと考えるだけで、なんだかほっとしてしまう今日この頃。
せめてもう少しだけ、この時間を楽しまなくては。

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Even though about half a month ago I wore in short sleeves, I took out a down
jacket from my closet in a few days that getting colder.
We can enjoy the look of each season slowly in Japan.
But the New York fall is very short and the cold winter season comes so
quickly.
After a sleeveless, the locals soon need winter coats.
I don't have any spring and fall items since I keep only summer sandals or
winter boots here.
New York fall is such a short term, but it is also the most beautiful season in a
year.
This temperature difference of rapidly cold morning and evening produces
the beautiful red leaves.
Manhattan would be gorgeous colorful town that decorated for the holiday
season.

Real life, though not a romantic thing like a movie, I'm happy to think of the sky
high views of Central Park led to the sky of my hometown in Japan.
I enjoy the time a little more now before winter.

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学生時代に米国西海岸に留学した時、当時29歳のホストマザーが幼い娘の
手を引いてSFO空港に迎えに来てくれた。
慣れない米国生活は不安と緊張の連続で、ホストファミリーに隠れて部屋の
隅で涙したことも少なくなかった。
日本の両親に学費を援助してもらった学生生活は、ちっぽけな自身を
再確認しつつ、壮大な米国にいつかもう一度チャレンジしたいという想いを
残して第一章の幕を閉じた。

日本航空での社会人生活は刺激的なことが多すぎて、気が付くとあっという間に
一年が過ぎ去ってしまう、そんな日々だった。
毎日が新鮮だったけれど、会社の肩書がなくなった時に何も残らない自分になる
ことには危機感を抱いていた。

必死に働いて学費を貯めて、20代最後に再渡米を決めた時、「1ドル
いや1セントも無駄にしない学生生活を送ろう」と心に誓った。
自分が貯めたお金だから惜しかったわけではない。
10代の時に私を寛容に米国に送り出してくれた両親に、何か胸を張って
伝えられるものが得られなければ申し訳ないし、不器用な私が感謝の
気持ちを伝えられるのは、心身共に独り立ちした自分の姿を見てもらう
しかないと思ったからだ。

しかし実際は意気揚々といくわけもなく、JFK空港に降り立った時は
不安で一杯だった。
そんな私を空港で待ってくれていたのが平(ひら)朋子ちゃんだった。
ボストンで学生生活を過ごし、ニューヨークで就職したばかりだったのに、
てきぱきと私のスーツケースを荷台に積み込んで左ハンドルを握る横顔は、
逞しさが漂っていた。
私の米国生活第二幕は、クイーンズ区にあった朋子ちゃんのアパートでの
居候生活で始まった。

課題に追われ貧乏学生生活を送る私と、米国で初めて働き出した彼女の
生活パターンはまったく違う弧を描いていたけれど、私はことあるごとに
彼女を呼び出した。
どんな場面でもウィットに富んだ会話をそつなく交わすことが出来る聡明な
彼女だからこそ、私の友人達にもすぐに馴染んでくれて心地よい時間を
共有することができた。

長い友情を温めるには、互いの心地よい距離感をつかむことが大事。
絶え間なく連絡を取り合っている訳ではないけれど、再会した瞬間に
姉妹のように会話を交わせる関係を、私はとても愛している。

そんな彼女がママになるなんて、ちょっと信じられないけれど嬉しい。
「私の妹分」なんて勝手に呼んでいたけれど、たくさんの素敵な友人達に
囲まれて幸せそうに微笑む姿に、手の届かないほど素敵な女性に成長した娘を
見守る母のような心境になってしまったよ。
彼女の支えがなければ、今の私の生活はありえなかった。
いつも心に想い、感謝する次第。

ともちゃん、素敵なママになってね。
そしてこれからも、どうぞよろしく。

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When I studied in the U.S. west coast in my teenage, my host mother who
was 29 years old at that time came to the SFO airport to pick me up with
her young daughter.
American life was full of anxiety and tension, my tears sometimes were
dropped hiding from my host family.

My school life in the US started with assist for college tuition by my
parents in Japan , and I recognized tiny myself.
The first chapter ended with a desire to leave the grand challenge to the
U.S. again sometime.

My social life in Japan Airlines was too much exciting, and it had quickly
gone years.
The days were fresh, but I was always in crisis that nothing remains to me
without my title.

I worked hard to save my tuition to study in the US again in my last 20s.
I decided that not to waste only 1 cent in my school life.
My purpose was not only to save my money.
If I could not get anything with confidence, I might be sorry for my parents
who generously sent me out when a teenage.
The only way that I showed gratitude them was I stand up my own both
mentally and physically.

But in fact, I was filled with anxiety when I landed at the JFK airport.
Ms.Tomoko Hira, studied in Boston and had just got a job in New York, welcomed
me waiting at the airport at that time.
She put my suitcases easily to her trunk and drove herself, seemed very
powerful lady.
My second chapter in the US, began as a freeloader living in Tomoko's
apartment in Queens.

I was a poor and busy student, and Tomoko had a totally different life
pattern as new co-worker in the US, but we sometimes met every chance.
She exchanges shrewdly intelligent and witty conversations in any situation,
and able to share a pleasant time with my friends.

The long warm friendship is important to get a pleasant sense of distance
of each other.
We have not always contact constantly, but I'm in love that we have
conversation as if we are sisters at the moment.

I'm very happy that she will be a mom soon.
I called her "my little sister," but when I saw her happy face with her
beautiful friends, I had mom's mind watching my daughter has grown out
of reach to most wonderful woman.
I always thank her that I'm not here now without her support.

I'm sure you would be a great mom, Tomoko.
Good luck to you.
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幼い頃からの器用貧乏。
なかなかひとつのことに熱中し続けられない私が、1989年のデビュー以来、
20年以上にわたって変わらずに愛し続けている音楽がある。
学生時代は「これこそが私のテーマソング」と毎日のカンフル剤代わりに
聞きまくり、山あり谷ありの社会人生活も、彼らの歌声と共に駆け抜けてきた。
30代前半、ふと人生を諦めてしまおうかと思った時、彼女の歌声に救われた。

音楽とは不思議なもの。
絶対的な価値以上に、個人の想い入れが重なり合って、その人にとって
唯一の思い出となって生き続けるのだ。

四年に一度きり。
今年もまたこうして彼女の歌声を聞けたことを、本当に幸せに思う。
今の自分は、四年前と比べて少しは進化できているだろうか。

いつか直接会って、御礼の言葉を伝えたい。
「あなたの歌声に、命を救われました。ありがとう。」

ささやかで、壮大な、私の夢のひとつ。
Will my dreams come true ?

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From an early age jack-of-all-trades and master of none.
I can not continue quite addicted to one thing, but I love one group
continues unchanged for over 20 years since its debut in 1989.

I listened their music with saying "This is my theme song," to get a daily
energy in my school life.
I spent my social life with their music.
When I thought I had to give up my life suddenly in early 30s, I was saved by
her voice.

Music has a mysterious attractive.
Than absolute values, overlapping into personal feelings, it will live in
people's mind forever.

Only once every four years.
I felt really happy that I could hear her voice again this year.
Would I have been able to evolve, compared with four years ago ?

I would like to meet them directly to convey a word of thanks.
"I appreciate that your voice saved my life seriously."

One of my dreams is very small and very spectacular.
Will my dreams come true?

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「あのね、目の前の人間を救えない人が、もっとでかいことで助けられる
わけないじゃないですか。歴史なんて糞食らえですよ。目の前の危機を
救えばいいじゃないですか。今、目の前で泣いている人を救えない人間がね、
明日、世界を救えるわけがないんですよ」
                      伊坂幸太郎「砂漠」より



マンハッタンのブライアントパーク、2753脚のイスが並んでいる。
オフィス街のど真ん中、いつもは喧噪であふれる公園に誰もいない。
誰もいないのに、誰かが座っているような気配がする。
2753人の生命が絶たれたあの瞬間を、私達は決して忘れない。

惨劇が起こるほんの少し前、日本から訪ねてきた両親と一緒にWTCに
のぼった。
いわゆる観光名所には滅多に足を踏み入れないのに、なぜかあの光景を
目に焼き付けなければならない気がしていた。

あれから10年が経って、日本はもっと多くの生命を失った。
地震や台風、自然の脅威とはいえ、こんな惨劇が起こることを10年前の
私達は想像さえしていなかった。

10年の歳月で、私達は何を学んだであろうか。どう変わっただろうか。
犠牲になった方々、家族や友人を失った方々、誰もが、ある日突然こんな風に
人生が変わってしまうなんて、思いもよらなかったに違いない。
無念のひとことに尽きる。

ビル崩壊後しばらくして、グラウンドゼロは新たな観光地となった。
どんなに人に誘われても、私は決して行けない。行ったことがない。
想うだけで、胸が苦しくて、息が出来なくなる。
あそこにさえ行かなければ、私は日常を取り戻せる。
そう思って避けてきた。

でも、座るべき人のいない2753脚のイスが、ミッドタウンまで、
追いかけてきた。
目の前にある困難を、避けてはいけない。彼らから、諭された。

朝起きた時、眼が見えて、手足が自由に動くこと、美味しいご飯が
食べられること。
ちっとも当たり前なんかじゃない。

目の前にあることに、感謝しよう。
今生きていること、それは当たり前のことじゃない。

目の前にあること、自分ができること。一生懸命、生きること。
すべてはそこから始まる。


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There lined up 2753 chairs at Bryant Park in Manhattan.
No one in the park, the heart of the business district where was always
filled with loud.
But I felt someone was sitting there.
We will never forget the moment that 2753 human life has been cut off.

A little before tragedy occured, I climbed to the World Trade Center with
my parents who came to visit from Japan.
I usually didn’t go the-so-called attractions, but I thought I had to
remember the scene there.

Ten years have passed since then, Japan has lost more lives by
Earthquakes and typhoons.
10 years ago, We had not imagined we happen our tragedy.

In 10 years, how we learned and changed?
Everyone should had never thought that an amazing life like this has
changed suddenly.
People said it was just chagrin.

After the collapse of Building, Ground Zero has become the another
tourist destination.
I have never gone there again.
My breathing becomes impossible if I think trying to go there.
I regained the everyday by I have avoided it.

But 2753 chairs have been chasing me to Midtown.
They let me know that I should not avoid the difficulties in front of the
eyes.

Every morning, I can see with hands and feet free to move, and can eat
a delicious meal.
It's not the commonplace.
I thank everything in front of me.
Be alive now, it's not the norm.

Live seriously.
Everything starts from there.

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大学時代に就職を考えた時、人を幸せにするホスピタリティー論を
自分なりに極めたいと思っていた。
美学美術史専攻の私には「海外でたくさんの美術館に行ける」という
やや不純な動機も非常に魅力的であった。
そして乗務員として世界中を飛び回っていた頃、師匠に言われた。

「とにかく世界中で「美しい」といわれているものを、たくさん見てきなさい。
今は分からなくとも、美しいものに囲まれていると、いつか本当に美しいものを
きちんと認識できる眼が育つから」

私はフライト乗務を終えると、当時一人暮らしをしていた世田谷の
アパートから、代々木にある西山吉勝氏のアトリエまで、ローラーブレードを
履いたまま駆けっていった。
お客様との素敵な出会い、滞在中におこったアクシデント、
上司に怒られたり褒められたり。
話したいことが盛りだくさんで、自分の作品を作る手は一向に進まない。
師匠は終始穏やかな笑顔で、私の話を真面目に聞いてくれて、
時に的確な言葉で、大人の意見を授けてくれた。

西山氏が生み出す「山吉」の作品を、私は語り尽くすことができない。
「西洋を越えた和がある
圧倒的な美しさは沈黙を強いる
山吉は語らない
極めた作品が語りかける
宝石による芸術だ。」

近年、パリやニューヨークでも展示会を開催し、世界中が注目する
「山吉」の世界。
そう、まさに作品自体が語りかけてくれるから、手に取った瞬間に人は
その感性を研ぎ澄まされる魔法をかけられてしまうのだ。
余計な説明はいらない。
私が世界中を渡り歩いて、目にしたどんな芸術作品よりも美しい、
美の極みがそこにある。

師匠、あれから二十年以上の年月が経過して、私の鑑識眼も少しは
育まれたでしょうか。
師匠、日本人の誇れる美の極みを、これからもどんどん生み出してください。
師匠、この美の極みを世界中に伝えるためにも、私はもう少しここで
踏ん張りたいと思います。


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When I thought my career in college, I wanted to get the theory of
hospitality to make people happy.
Since I majored in art history of aesthetics, it was also very attractive and
little ulterior motive of "can go to many museums abroad.”
When I was flying all over the world as a crew, I was told by my master.

"Anyway, you should go to see a lot of 'beautiful' things in the world.
Even if you don't know the reason of 'beautiful' now, you should keep to be
surrounded by beautiful things. Your eyes can discern something really
beautiful someday. "

When I finish my duty of flight, I run to go to the studio of Mr. Yoshikatsu
Nishiyama in Yoyogi, wearing roller blades, from the apartment in Setagaya
where I had been living alone.
My hands to make design did not proceed at all, since I wanted to talk with
master to report what happened in a stay.
Master had a gentle smile from beginning to end, listened seriously, and he
sometimes gave me the opinions of the adults in the precise words.

I can not tell his work of "Yamayoshi" produced by Mr.Nishiyama.
"No words are necessary.
The exceptional works speak directly to the heart.
They will be treasured for generations.

In recent years, He had exhibitions in Paris and New York, people paid
attention to the world of "Yamayoshi" all over the world.
Since his work speaks itself, people would have well-honed sensibilities
Enchanted that the moment when they pick it up.
We do not need extra explanation.
There is more beautiful than any work of art all over the world that I saw,
the ultimate of beauty.
.
More than twenty years have passed since then.
Master, do you think my eyes are getting little nurtured as discerned
one?
Master, please produce more and more for the ultimate of beauty, proud
of Japan.
Master, I would like to struggle a little more here to tell your work, the
ultimate of beauty, to the world.

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「マンハッタンに新しく出来たアレキサンダー・マックイーンの店を取材してきてほしい」
かつて日本の編集部からの依頼で、初めて彼の名前を知った。
日常的にはとても着られないようなエッジーな洋服ばかりだったが、彼の「美しくも野蛮な世界」の魅力に圧倒されたのを覚えている。
ファッションの世界には疎いけれど、彼は単なる服飾デザイナーではなく、その内に秘めた暗くて鋭い感性をファッションに代えて表現するという、まさに究極のアーティストなのだと感じた。

「アレキサンダー・マックイーン氏死去」衝撃的なニュースから一年が過ぎ、彼の回顧展がメトロポリタン美術館で開催された。
世界中から彼の遺作を見に集まる人々で、連日長蛇の列。なんと3時間の待ち時間。
こんなに長く何かのために並んだのは、開業時の東京ディズニーランドに行って以来。

展示場に一歩足を踏み入れると、そこは別世界。ゴシック、自然、宇宙、地球環境、テーマ別の部屋が続く。
万華鏡のような空間の演出、モニターやシェルフの配置、そして音響も凝っていた。
マックイーン氏の心に秘めた世界が具現化した究極のエンターテインメント会場は歓喜で満ちていた。
彼はもはや孤高のアーティストではなく、歴史に残る人物となったのだ。
約100点の遺作、これらはきっと世界中のオークションにかけられて、もう二度とすべてが一堂に集められることはないのかもしれない。
そう思うと、感慨深かった。
メトロポリタン美術館史上、最高のエキシビションといわれるのも納得。

残念だったのは、展示場にいたアジア人のマナーの悪さ。
「写真撮影禁止」といわれるなかで、こそこそとシャッターを押しまくる。
きっとブログに載せるのだろうか。

彼の作品の記録は、素晴らしいカタログにおさめられている。
ということで、ここではポスターの近影をご紹介。


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とても不思議な体験をした。
互いの名前しか知らない状態で出会った女性。人間には自身が放つオーラ層(エネルギー層ともいえる)というのがあって、その色や光沢状態で、その人の本質を見極めるのだという。
彼女は目を閉じたまま、私の正面に座る。
これまで話したこともない初対面の彼女の口から、私の本質や現状、そして守護霊からのメッセージというのが次々と出てくるのには、本当に驚いた。

現代科学では解明できないような何かの存在というのを私は否定しない。それを「神」や「魂」の存在というのか、「目に見えないエネルギー」と呼ぶのかは分からない。精神論を説くスピリチュアルな世界についても、常にニュートラルな気持ちでいる。
しかし、これまでに良くも悪くも、誰に何を言われてもあまり記憶に残らなかったのは、それらの意見以上に自分の直感に頼って生きてきたからかもしれない。

「貴女の本質は、前世から受け継いだ直感やパッションで動く行動力にある」
・・・・・・うん、当たっているかもしれない。
「けれども、現実生活にある制限や制約が、それを少し鈍らせている」
・・・・・・あ、確かに。
「年齢や世間体など考えずに、本当にやりたいと思っていることをやると、必ず結果がついてくる」
・・・・・・え、本当に?

2002年7月27日。不安はいっぱいだったけれども、自分らしいビジネスを目指して会社を立ち上げた。直感と情熱だけで産声を上げて、最近少しだけよちよち歩きを脱出しつつあるところ。
互いの求めるところが合致せず、必ずしも仕事の御縁には結びつかないこともたくさんある。いや、むしろその方が多いぐらい。
でも「人生のなかでこの人と会えてよかった」そんな出会いの仲介をプロデュースしていくのが私の想い。
来年10周年を迎えるまでに、まだまだたくさんのことをやっていかなくては・・・。
課題は山積み。


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I met a woman who made me a very rare experience.
She considers the nature of man with reading the color and luster of
the human aura layer.
She sat in front of me with her eyes closed.
“Your essence of the ability to take action with intuition and passion
has been inherited from your past life.”

I can’t deny there’s something that does not figure in the modern
science.
People call it “God", "Soul”, or the existence of “invisible energy”.
I have a neutral feeling for the spiritual world, too.
However, I’ve been living from relying on my intuitions than psychic
opinions.

With a huge anxiety, but small intuition and passion, I established a
company on July 27th, 2002.
Even if the clients could not work together, I wish I could produce
such a nice meeting that they thank to meeting each people.
Before to celebrate the 10th anniversary next year, there still has a lot
of challenges abound to do.



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エンパイアーステートビルが日の丸色に染まった。なでしこジャパンの勝利を称えるニューヨークからの贈り物。勝利の瞬間の感動もさることながら、試合後のインタビューに涙した人も多いだろう。なでしこ達に「最後まであきらめない精神力」を、そして負けた米国選手の潔さから「スポーツの醍醐味」を改めて教えられた。

私達が得た感動は、選手一人一人が失った多くものに支えられているのだという「感動のいいとこどり」についての論議をするつもりはない。目に見えない犠牲や努力の結果が、あの日の感動につながったのだということは、きっと誰もが分かっている。
だからもう一度、改めて言葉にしてみよう。感動をありがとう。


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The Empire State Building was colored to Japanese flag last night.
It was a gift from New York in honor of the victory of Nadeshiko Japan.
Many people might be shed tears with the excitements of the moment
for the victory, and the interview after the game.
We have been taught “never give up to the end" by Nadeshiko, and
“pure sprit of sport ” from the graciousness of the U.S. players.

I’m sure that everyone knows that the excitement result had been
supported by sacrifice and invisible effort of players.
So once again, I love to say “Thanks for the excitement.”
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Japan



震災後に合言葉のように飛び交う「がんばろう、日本」というメッセージ。確かに「がんばって」というのは心底からのエールだし、それ以上の言葉が見つからない。
しかし苦境に立たされている人にとって、「がんばって」の言葉がかえって窮地に追い込まれる槍となることもある。人知れず、すでに十分にがんばっているつもりでいるのに、これ以上何をがんばれというのだろう。
「私に出来ることがあれば何でもやるから遠慮なく言ってね」この言葉も私は苦手だ。遠慮なく言えるぐらいなら、悩み苦しむこともない。

期待を裏切るぐらいなら、初めから言及しない「不言不実行」が美徳とされる世の中だけれども、漠然と「自分に出来ることがあれば」と伝えるよりも、自分のできることと、できないことを具体的に提示してくれることの方がよほど救いになることもある。
相手に何かを期待させるだけの台詞を口にするのが当たり前のような昨今で、こんなにも「有言実行」を真っ直ぐに果たす人に出会えたことは奇跡に近い。

出会いは20年近く前にさかのぼる。
ホノルル便乗務を終えて、時差と疲労で朦朧としながらオフィスの廊下を歩いていると、ダイビングのフィンを背負って颯爽と歩いてくる女性とすれ違った。
「お疲れ様でした」溌剌とした声に振り返ると、つい先程まで同じ制服を着て一緒に乗務していた先輩の姿。それが、重田みゆきさんだった。
内に秘めた熱いパッションと芯の通った生き様にすっかり魅了された私は、滞在先でも寝る間を惜しんで活動する先輩の後を必死で追っていた。

互いに生きる道が交錯して、長い空白の時間が流れた後のこと。私の小さなSOSをキャッチして「すぐに会いに行きます」と、翌週ニューヨークまで飛んできてくれた。あくまでも私に負い目を感じさせないように、「たまたま時間ができたから」を誇張する姿が神々しかった。

「お互い知らないうちに苦労していたんだね。」

凍った小川が春の陽気でその小さな流れを取り戻すかのように、私の心は溶け出した。
魔法をかけられたかのように、明日へのエネルギーが湧き上がったのを痛感した。

苦しい時こそ、心を開こう。素直な気持ちで、周囲を見渡そう。世の中には愛が溢れている。

「幸せになるために笑うんです。」
私達の笑顔も、日本に届きますように。


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"To do what you say"

I always hesitate to say the words 'Ganbarou", since these words
sometimes make someone to be cornered.

If you could not do something that you say, you had better to say nothing.
I appreciate that I met such a genuine woman who made what she said.

Encounter dates back nearly 20 years ago. Ms.Miyuki Shigeta was my
co-worker as a flight crew. I was totally fascinated by her core passion and
her way to life.

After a long time flowing, she suddenly appeared in front of me.
It was her magic that can melt someone's frozen heart.

Only you need is to open your heart and listen to your neighbors in honest
feeling. The world is full of love.

“Let us smile, to be happy”.
I wish our smile can get to Japan, too.



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美学美術史を専攻していた学生時代、レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」というたった一枚の絵画に固執して数百枚の卒業論文を書き上げた。物心もあるかないかの幼い頃から、絵画を絵画として見る眼もない頃から、私の中に漠然と生き続けていた一枚の絵画へのこだわりだった。これからどんなに偉大な画家がこの世に排出されようとも、ダ・ヴィンチの偉業は間違いなく歴史を刻み続けていく。

先日、ワシントンDCに行く機会があり、久しぶりにダ・ヴィンチの絵画に再会した。これほど有名なダ・ヴィンチが、世の中に残した絵画作品は驚くほど少なく、この広い米国で所有されているのは「ジネヴラ・デ・ベンチの肖像」が唯一である。

中心人物の美しい表現に人々が目を凝らしている傍で、私はその背景にある水の美しさに感動してしまう。
(ダ・ヴィンチの作品には必ずというほど水の情景が描かれており、その水だけを探求する論文さえあるほどなのだ。)
主役の魅力を惹き出すのはもちろんだが、人々の気付きにくい些細な場所へ配慮する心意気を、私はその偉人から学んだ。

ダ・ヴィンチの水へのこだわり、それは今でも私に何かを気づかせてくれる。
華やかな脚光は浴びなくとも、見えない部分で力を発揮する人達への感謝の気持ちを大切にしたい。
主役を脇で支える人達を、私はもっともっと応援し続けたい。


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When I was a student majoring in fine arts and history, I wrote a Bachelor
thesis sticking to only one painting titled “The Last Supper" of Leonardo
Da Vinci that had been in my heart from an early age.
We are sure that Da Vinci’s feat will continue ticking into the world’s
history forever, even though there showed how the great artists.

Recently, I had the opportunity to go to Washington DC, and was reunited in
Da Vinci’s painting after a long time. So the famous Da Vinci, paintings left
in the world are surprisingly few, and “Ginevra de’Benci” is the only one
that the U.S. owned.

In the near to the people focusing a beautiful representation in the main
characters, I have impressed to by the beauty of the water behind them.
(The works of Leonardo da Vinci has is drawn scenes of the water so be
sure to say, there is even the thesis that's to explore his water.)
I learned from the great man, both the pulling out the charm of the
protagonist, and a sensitive spirit to consider the place people’s hard to
notice.

Da Vinci’s commitment to water, it let me do to think something I noticed
today.
Although no hero, I would like to cherish a feeling of gratitude to those who
exert power in the invisible scenes.
I would continue to support more and more to the supporting role by the
side the lead.
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「親愛なる由美子。
一日違いでこの世に生を受けた私達は、いつも一緒に誕生日を祝ってもらっていたよね。貴女はこの世から立ち去ることを決めてしまったけれど、私はまだしぶとくこの世を生きている。そしてもう、貴女の生きた倍の年齢になってしまったよ。」

職業柄もしくは性格によるものか、ごく身内のイベントにおいても普段は企画側にまわることが多い。会合に参加した皆がそれぞれに楽しめているか、予算に対して不満を抱いている人がいないか、いろんなことが気になってしまう。

しかし先日の企画は、一切合財を幹事さんにお任せして、本当に心の底から楽しませていただいた。こんなかたちで友人達に集っていただいたのは、何年ぶりのことだろうか。主役でいることには慣れないけれど、改めて「おめでとう」の言葉がこんなにも美しく、こんなにも人を幸せにするのだと感じた。異国の地での仕事や生活は、決して平坦な道ではないけれど、こんなに素敵な仲間達がいてくれるおかげで、私はまた明日に向かって歩き出せるのだ。
6月10日、時の記念日。

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“Dear Yumiko
I always remind your memory, especially on our birthday. I’ve made my mind
that I would do my best through my life since when I heard your sad story”.

I really appreciate all friends who celebrated my birthday on June 10th.
I had precious time with you. Thank for your support, I would keep my
passion to live in here.

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MIKA

都会の喜びと悲しみは、それだけ数多くの人達との出会いと別れが繰り返されること。ニューヨークで出会った人達と、何らかの事情で別れなくてはならないことも少なくない。

祖国に帰っていく友人、新しい夢を求めて他の街へ旅立つ友人達を見送るたびに、私は残された人の寂しさを募らせる。しかし翌日には「今、ここが私のいる場所だ」と気持ちを切り替えて前を向いてきた。

しかし、昨日の別れは本当に辛かった。
同じビルに住んでいた友人一家が、新しいビジネス展開のために、南アフリカへ引っ越していったのだ。一定の距離のある友人には温厚な米国だが、意外とネイバー(いわゆる御近所さん)との関係で悩むケースは少なくない。

彼女達は最高のネイバーだった。家族ぐるみで異邦人の私達に愛を注いでくれた思い出の数々を、私は決して忘れない。今日はもう少しだけ、泣いてみよう。


I had to say good-bye to my dear friend yesterday. Jahanara and her family
left for South Africa that they would have big business opportunity.
She was one of the best friend and neighbor in New York.
Good luck and see you soon!
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1999年初秋、自分史上最高の笑顔で米国への第一歩を踏み出そうと決めていたのに、
機内から見たマンハッタンの摩天楼に、なぜか一気に不安になった。
自分史上最低の泣き笑いで降り立ったJFK空港。
20代最後に、裸一貫で大学生をやり直そうと決めた。
プライドは要らない。
欲しいのは新しいことを始める勇気だけ・・・。

あれからずいぶんと長い時間が経過した。
人と人、企業と企業、日本と米国をつなぐ。
バラバラのBEAD(ビード)をつなげばBEADS(ビーズ)になる、その懸け橋となる役割を
担いたいと「OFFICE BEAD INC.」設立。
日系企業や日系アーティストの米国進出に役立てるのならと、なりふり構わず走り回った。

そしてたくさんの人と出会い、たくさんの愛と勇気をもらった。
これまでに私と関わった、すべての人にありがとう。

これからは、ここで頑張る皆さんの姿を、私なりの方法で日本の皆さんに伝えていくのが
私の使命。
遠い異国の地で起こっている夢物語ではなくて、誰だってほんの少しの勇気を出せば
手に届く未来がある。

「Every wall is a door.」
神様は乗り越えられない試練は与えない。

ドアを探して、地球の裏側から日本を元気にするプロジェクト、いざ開始。

Metropolitan_Museum


In fall 1999, I have made up my mind that I would start my first step into
the US with my best smile in my life.
However, I got nervous as soon as I saw
skyscrapers of Manhattan from the window of the air plane.
I ended up arriving at JFK airport with a half-face, almost cry.
In my last 20s’, I have decided to go back to school and start from scratch
in NY, where I had no career so I had nothing to lose.
Pride was not necessary.

All I needed was a little bit of courage to start something new…
It’s been a while since then.
People to people, Company to company, Japan to America.
Connecting a piece to a piece became BEAD to BEADS.
I have established my first company call “OFFICE BEAD INC.” in order to
be a bridge between those pieces.

I threw my pride to the wind to be a help of someone such as Japanese
companies and artists who are searching for an opportunity outside of
Japan to fulfill their dreams. Thanks to the opportunity, I met so many
people and received love and courage from them. I appreciate all my friends
whom I met so far.

From now on, I believe that my mission is to tell the story of people (not
only Japanese) who are surviving here in the US to the people in Japan.
It is not a stranger’s dream happening in a far foreign country.
Dreams come true, if you push yourself a little harder with a little of
courage.
“Every wall is a door” – God gives us something difficult that we can
resolve.

Looking for a door to encourage people in Japan from other side of the world,
Let the journey begin.
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美香ブログスタート

2011年5月中旬より、いよいよブログスタートいたします!!

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Photo by Go Nakamura / Make up by Hiroko Sacripante

Mika Kuramoto 倉本 美香

  • OFFICE BEAD INC.主宰
  • M.snow New York, Inc. コーディネーター
  • 日本ソムリエ協会認定資格保有

世界の中心・ニューヨークで活躍する日本人をバックアップする、スペシャルエージェント。
日米の架け橋となることを目指し、ビジネスコンサルティング会社OFFICE BEAD INC.設立。
以来、世界的建築家と有名スポーツ選手による大型ニューヨークコラボレーションプロジェクトのコーディネーションを皮切りに、レストラン・ジャズバーなどの店舗展開、日系企業や日本人アーティストのニューヨーク進出を、おもてなしの心でトータルにコンサルティング。
各種ライセンスの取得サポートだけでなく、ビル内装工事の現場監督まで積極的に務める実力派。進出後のマネジメントに関するきめ細かいアドバイスにも定評があり、ニューヨークでは絶大な評価を獲得している。

日本航空『国際線客室乗務員』時代は、政府特別便(VIPフライト)スタッフとして最年少で選出、モスクワやプーケットなど数々の特別フライトを担当。また地上勤務では日本航空のPR要員も兼任し、おなじみのスチュワーデスカレンダーをはじめとして、多数のマスコミに出演した。

特に日本航空初の試みであり人気を博した、客室乗務員選抜メンバーによる『ソムリエグループ』初代一員として、ボジョレー解禁フライトなども経験。ワインはもちろん、アルコール飲料に関する資格も多数所有している。当時展開されたさまざまな斬新な試みに参加することで、「サービス」の在り方について多くを学んだ。

また社内留学制度を活用し、2年間のニューヨーク留学へ。インテリアデザインを学ぶ傍ら、ホテル・レストランを徹底的に探索すべく、ニューヨーク特派員としての仕事も兼任した。
帰国後、客室乗務員に復帰するが、結婚を機に退職。再び、生活の場をニューヨークへと移す。

2002年7月、OFFICE BEAD INC.を設立。現在に至る。

  • Office Bead Inc. / Principal
  • M. Snow New York Inc. / Coordinator
  • Japan Sommelier Association/ Sommelier

Mika Kuramoto is the representative of consulting firm, Office Bead Inc. that offers guidance to Japanese companies and individuals in New York. In the past, she has coordinated a major project involving a globally-known Japanese architect and a famous Japanese athlete, has provided consultation for development and management of a restaurant, jazz bar, and many others businesses and individuals seeking success in New York. She is also actively involved in on-site supervision of construction sites, and offers full support of obtaining various licenses and permits necessary to run a business. Her passion has led her to receive high reputation amongst her clients for her detailed advice, vast knowledge and heartfelt consultation to support the expansion of her clients businesses.

Before establishing Office Bead Inc., Mika worked as a Japan Airlines International Cabin Crew where she obtained her vast hospitality skills and knowledge. During her employment, she was elected as the youngest staff to be responsible for government flights (VIP flights). She also worked as a Public Relations Representative of Japan Airlines, and was frequently selected to appear in the media, including the popular “Cabin Attendant Calendar” – 100,000 copies of the calendar were printed in a year to meet popular demands during the 90’s. Organized by the leading cabin crews, Mika was also the founding member of Japan Airlines’ "Sommelier Group," and experienced offering a Beaujolais Nouveau Wine Flight. Mika has also obtained other certifications to expand her knowledge of alcoholic beverages. Through the experiences of leading and participating in projects that aim for higher customer satisfaction, she learned the heart of hospitality.

Her life in New York first began when she took advantage of a two-year study program in New York provided by Japan Airlines. While studying interior design, she was concurrently working as a New York correspondent for visiting employees and clients to smoothly explore hotels and restaurants. After her study program, she returns to her position as a cabin crew in Japan, but leaves shortly after to marry and build a family in New York – where she then founded Office Bead Inc. in July of 2002.

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