たくさんの障害を持って生まれた娘は、ずっと歩くことができなかった。
障害児専用の車椅子は、高価でとても買えなかったから、
幼児用のベビーカーで、ずっと一緒に移動していた。

米国では、歩かない乳児にも外出時に必ず靴を履かせる。
靴下や裸足のままベビーカーに乗せると、違和感を抱かれる。
「靴を履かせてあげなさいよ」
隣人愛と親切心からくる言葉に、毎回説明ができなかった。

可愛くて、丈夫で、履かせやすい。
このタイプの靴を、何足買い続けただろうか。
決して廉価ではないけれど、歩かないから靴は痛まない。
なかなかサイズアウトしないことが、経済的にはありがたかった。

干支がひとまわりした頃、ようやく娘が大地を踏み出した。
恐る恐る、手をのばして、信頼出来る人を探す。
娘の足には21センチのミキハウスの靴。
子供用の最後のサイズだった。

娘の成長を見守ってくれた靴の空き箱を片付けよう。
最後の一枚を写真に収めた時、涙が流れた。
このブランドにこだわっていたことは、親のエゴかもしれないけれど、
こんなに愛し続けたモノがあることが、幸せだった。

*******

米国社長に我が家のストーリーお伝えして、ミッションが終わった。
いつか直接御礼をお伝えしたいとずっと思っていた。
我が家の救世主だった日本ブランドのこだわりに、感謝をこめて。

写真 2017-11-12 8 07 38


My daughter, born with many obstacles could not walk for a long time.
The wheelchair exclusively for handicapped children was expensive and we could
not be purchased it.
We moved with a general stroller all the while.

In the United States, even infants who do not walk always make them wear shoes
(or booties) when going out.
If you put your baby a stroller with socks and bare feet, people will feel it's unusual.
"Let your baby wear shoes"
I could not explain our situation to the words from neighborhood love and kindness.

I loved Miki HOUSE's shoes. It's cute, strong, easy to put wear.
I wonder how many pairs I kept buying this type of shoes.
Although it was not inexpensive at all, she did not walk, so her shoes won't hurt.
We thanked economically that she grew very slowly.

After it passed more than 12 years, my daughter finally stepped on the ground.
She walks, extends her hand and looks for a reliable person.
She wore Miki House's shoes at that time.
21cm was the last size for their kids’ shoes.

I cleaned up the empty boxes of the shoes who watched my daughter's growth.
Tears flowed when I took a picture the last piece.
What stuck with this brand may be the ego of the parent,
I was happy that there was a thing that I loved so much.

******

After I told the story of my family to the president of Miki House in the US, my mission
was over.
I always thought that I would like to express my thanks directly someday.
We thank the pride of the Japanese brand that was our savior.





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江戸時代を代表する花火師「鍵屋」「玉屋」の逸話を説く。
ニューヨークで見る花火は単調で、そこに情緒はないけれど、
季節の風物詩を、ここで体感できるだけでも幸せだと。

あの夏の花火を一緒に見た仲間は、
今年の花火を、どこで誰と見ているだろう。

空は繋がっているとはいえ、
この音も光も煙も、きっとそこには届かない。

ニューヨークは、もう夏が終わりかけている。

10

35


I told the anecdote of "Kagiya" "Tamaya", the masters of fireworks of Edo period.
The fireworks in New York were looked monotonous and unsympathetic.
But I was happy that I had experience of the seasonally tradition.

That reminds me the fellow whom I saw the fireworks of that summer together.
Where and with whom, does he look at this year's fireworks?

Although the sky is connected,
I'm sure that the sound, light, and smoke cannot reach there.

The summer of New York has almost over.

37

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友人の御自宅にお招きを受けた。
いそいそと出かけて行ったら、私の誕生会だという。

こんな心遣いが、たまらなく嬉しい。
彼女らがいてくれるから、私はまだここで生きていける。

06


I was invited to the home of my girl friend.
When I went to there cheerfully, I was noticed that was my birthday party.

This thoughtfulness was irresistibly happy.
Because they are here, still I can live here.

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12月最初の日、アトリエのスタッフが電話をくれた。
「美香さん、あと2時間以内にチケット購入してくださいと伝言です」

これまでも、幾度となく師匠が手配してくれたコンサートだった。
本人はきっと、ミュージシャンの名前ぐらいしか知らないのに、
私が大ファンだからと、体調を崩す前に、
旧友のツテにお願いしていてくれたのだと。

この年末は家族と共に日本に帰ろうと計画していたけれど、
北国に行けるとは思っていなかった。
大急ぎでホテルや航空券の手配をした。
家族に計画を伝えて、その日を迎えようと心待ちにした。

そのたった2日後に、師匠が息を引き取った。

2015年のカウントダウン。
この瞬間を迎えられなかった師を思い、涙しそうになったけれど、
新年は笑顔で迎えようと決めていた。

たくさん笑って、楽しく生きる。
私らしく生きることが、目標。

新しい歴史が、始まった。

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The first day in December, atelier staff gave me a phone call.
"Mika-san, I had message from the president that you can get the tickets
if you make payment within two hours."

Up until then, the master arranged the concert for me many times..
He surely, did know only the name of the musician.
He had asked intermediary to get tickets to his old friend because I was a big fan,
before he was ill.

I had been planning to go back to Japan with my family at the end of the year 2015.
But I did not expect I could go to Hokkaido.
I arranged for hotels and flights immediately.
I conveyed the plan to family, and my kids were looking forward to welcome that day.

Only two days later, the master passed away.

At the countdown of 2015.
When I thought my master could not greet this moment, I was almost in tears.
But I had decided to welcome the New Year with a smile.

Laugh a lot, and live happily.
Living in my way is my goal.

New history has begun.

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中学一年生の夏に、生まれて初めてスーツケースを買ってもらった。
祖母に連れて行ってもらったワイキキビーチの夕景は、
あまりにも美しくて衝撃的だった。
夏休みの宿題で版画にしたら、東京都で優秀賞をいただいた。

会社で支給されたのは、サムソナイトのスーツケースだった。
アンカレッジに緊急着陸したり、オーストラリアで紛失したり、
世界中をまわって、結局私のところに戻ってきた。

プライベートでは大人の世界に憧れて、
リモワのスーツケースを使っていた。
「世界一ハード」が売り文句のスーツケースなのに、
私のリモワは車輪がよく壊れた。

アメリカではトゥミが人気で、
いつしか我が家にはトゥミが増えていったけれど、
TASロックはよく税関で開けられる。

どのスーツケースも思い出と想い入れがいっぱいで、捨てられない。
旅のお供をしてもらうには頼りないほど不具合が多い子達は、
衣装ケース代わりに活躍してもらっている。

濃紺のリモワが新顔として仲間入りした。
小ぶりであまり容量がないのに、フォルムの美しさに惚れてしまった。
今はとんぼ返りの移動ばかりだから、これで十分なのかもしれない。

いい感じに年を重ねたら、ゆっくり旅がしたい。
深呼吸して、スーツケース皆んなにありがとうと言いたい。

15


My parents bought my first suitcase when I was in the middle school
at the 7th grade.
The evening of Waikiki beach, where my grandmother took us, was
shocking too beautifully.
Once I made the prints for the summer homework, I received the Excellence
Award in Tokyo.

The suitcase that I had been given by the company was a suitcase of Samsonite.
It had been taken emergency landing in Anchorage, and lost in Australia.
But it had eventually returned to me after it passed around the world.

In the private, I was using a suitcase of RIMOWA in longing to the adult world.
Even though the suitcase of RIMOWA had been sold as "the strongest
in the world",
My RIMOWA's wheel had broken many times.

TUMI is popular in the United States, and it increased unawares in my home.
But its TAS lock is broken well by Customs.

I cannot discard any suitcase since they are full with a lot of memories.
If the suitcase would not fit as the companion of travel, I use it as the costume case.

I got the dark blue of RIMOWA in my collection.
Though it do not have much capacity in small size, I fallen in love by the
beauty of the form.
Because I have only short trip recently, and this might be sufficient.

Once I got my good age, I want to travel laid back.
After the deep breath, I want to say thank to all suitcase.

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45


朝から霧が深くて、雨脚も激しかった。
この時期の生暖かい空気は、この街には似合わない。

今年やり残したことがいっぱいあることを反省しながらも、
やり残したことがいっぱいある方が、来年の目標になると言い聞かせる。

今日はひとつ、ふたつ、みっつ、いいことがあった。
ワクワクした気持ちで明日を迎えよう。

皆様、素敵なクリスマスを!

50


It was foggy day from the morning, and had started hard rain in the afternoon.
Lukewarm air of this season did not suit to this town.

I reminded that a lot of things to do were left this year.
But If I left a lot of things to do, it became next year's goal.

There happened some good things today.
I will welcome tomorrow with the exciting feeling.

Merry Christmas to everyone!!

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08


今回はその場にいられないと諦めかけていた。
でも、大切な人がたくさん力を貸してくれたおかげで、
いろんな奇跡が起こった。

これまで何度もその場に行かせていただいたけれど、
今回のが最高だと、いつも思う。

「諦めるなよ」
指を差された時に、涙が頬を伝った。

こんなにも真っ直ぐに、こんなにもパワフルに、
愛と涙と生きる力を歌う。

4年前の前回を振り返って、
何もないようで、少しだけ前に歩いている自分に気づく。

4年後、どこで何をしているか分からないけれど、
諦めないで、前に進もう。
明日がその10001回目かもしれないから。

背中を押してくれた家族と友人に、
たくさんのありがとうをこめて。

38


DWL 2011の記事はこちら

35


This time, I was almost to give up.
But, thanks to important people who lent me a lot of force,
Various miracles happened.

I was allowed to go to the spot many times in the past,
But I always thought this time was the best.

"Do not give up."
When her finger pointed me, my tears ran down the cheeks.

So much straight, so much powerful,
She sings the love and tears, and the power to live.

Looking back for the recent four years,
Nothing seems to notice myself, but I am walking forward a little bit.

Four years later, I do not know where and what I do.
But I do not give up, and I will intend to move forward.
Because tomorrow may be the 10001 th.

To family and friends who cheered me up,
I thank very much.

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チームワーク (3)


日本からのお客様のリクエストで、一緒にホットヨガスタジオに行った。
いつもは一人静かに自分の向き合うヨガタイムだけれど、なぜか一緒に競技を
している気分になった。

思い返してみると、小さい頃から、チームスポーツばかりやってきた。
ソフトボール、ハンドボール、スキーも団体戦。
精神面の弱さもあって、1対1の勝負が苦手だから、テニスでもダブルスが好き。

10年近く前に坐骨神経痛で倒れた時から、自分にコミットして、
ホットヨガを10年近く続けてきたけれど、
本来孤独なスポーツは向いていないのかもしれない。

いかに仲間を愛しているか、仲間と動くことを大切に思えるか。
人間は一人では生きられない。

チームワーク (2)


In the client's request from Japan, we went to hot yoga studio together.
I'm always facing myself quietly in Yoga-time,
but it became a mood that I was in the competition together.

When I think back, from a young age, I had played just team sports.
Softball, handball, and ski team competition.
Since I have the weakness of the mental, I don't like a game of one-on-one,
I like doubles in tennis.

From the time I got in sciatica before, I've committed to myself to continue
nearly a decade the hot yoga.
But originally lonely sport might not suitable for me.

I know I love a fellow, and it's important for me to move with peers.
Human beings cannot live alone.

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数年前、持病の片頭痛が悪化して、脳ドックを訪れた。
まな板の上の鯉状態で、頭を輪切り撮影されて、
私のそれは、先天的な骨格の傾斜によるものだと診察された。
一生、この煩わしさとつきあわなければいけない。

今朝はいつもより酷い頭痛で目が覚めた。
今にも泣き出しそうな空の向こうに、フリーダムタワーが見える。
霧がかったそれは、猛煙をあげて崩れていったツインタワーを彷彿させる。

2001年、日本からやって来た両親を連れて、
初めてワールドトレードセンターの上にのぼった。
展望台の囲いが、あまりにも低くて彼らは驚いた。
すべてにおいて自己責任の国だから、そこから落ちても誰も責められないのかと。

そのすぐ後に、ツインタワーが崩壊した。
目の前にあった巨大なビルが、ものの見事になくなった。
当たり前のものが当たり前でなくなることを受け入れるために、
私はきっと何年もの月日を費やした。

FDNYのサイレンが鳴って、街が静かに黙とうを捧げると、
青空が顔を出した。
この厳粛な気持ちを、忘れてはいけない。

911 (2)


A few years ago, I visited the brain dock, since chronic disease of migraine
had been worse.
In carp state on the cutting board, my head was shot by slicing.
It was diagnosed as something due to the inclination of the congenital skeletal.
So I'll have to live with this hassle.

I woke up in terrible headache than usual this morning.
Beyond the cloudy sky, I saw the Freedom Tower.
It reminded me of the Twin Towers that went collapse by raising the huge smoke.

The first time, I climbed on top of the World Trade Center with my parents who
visited from Japan in 2001.
They were surprised that the fence of the observation floor was too low.
Because it is self-responsibility in this country, anyone won't be blamed even
if somebody fell from there.

Shortly thereafter, the Twin Towers collapsed.
Huge building in front of the eyes was lost in a day.
I have surely spent the month and day for many years to accept the fact that
ones are no longer.

The siren of the FDNY was ringing and the city has devoted quietly silent prayer.
This solemn feeling, we will never forget.

911 (5)


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小学生の時、「24時間テレビ、愛は地球を救う」第1回目の放送があった。
通っていた小学校のユニークな教育方針は、ディレクターにとって格好の
取材ネタだった。
私は大切なクラスメイトがTV画面に映し出されるたびに、胸がキュンと痛んだ。

時が経ち、私は障害児の母親になった。
娘の障害を受け入れるまで、気持ちの整理は必要だったけれど、
娘の母親であることから逃げたことはない。

24時間テレビを見ながら、この番組はどこに向かっているのかと考える。
募金をするのが偉いのか、障害者が何かに挑戦する姿が偉いのか。
スポットライトを浴びない場所で、みんな日常を生きている。

ニューヨークで子育てをしながら、仕事を続けてきた。
それだけで、批判の対象にされることがある。
静かに、社会の恩恵を享受して生きることが、障害児の母親の在り方だと。

大きな仕事をすると、必ずこの波がやってくる。
一人静かに、それを受け止める。
誰でも、外から見えないものを抱えている。
自分の信念を貫き、真っ直ぐに生きることだけを目指したい。

「おかえりなさい。」
ニューヨークの木漏れ日は、まだ私に優しかった。

24時間テレビ (2)


When I was in the elementary school, the first "24-Hour Television, Love
Saves the Earth" was broadcasted.
Our elementary school's unique education policy was interviewed by a director
who was looking for a story.
Every time our class mate is displayed on the TV screen, my heart was ached.

After many years, I became a mother of children with disabilities.
It took a time until I accepted everything for my destiny, but I never ran away
from the fact that I was a mom of my daughter.
While watching the 24-hour TV, I considered the future of this program.
I think the fund-raising/donation is no bad.
I don't want to see the scene for disabilities to challenge something.
In the place without the spotlight, we live everyone every day.

While raising children in New York, I have continued to work.
It may be subject to criticism.
I was suggested, as a mom of children with disabilities, I should live quietly,
to enjoy the benefits of society.

When I did a big job, this idea always came to me.
I receive it quietly alone.
Anyone, suffer from what we cannot see from the outside.
I will pierce my beliefs to aim only to live straight.

" Welcome back."
Sunshine filtering through foliage in New York was still gentle to me.

24時間テレビ (3)


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梅雨明け頃の予定日を待ちきれずに、ずいぶん早くこの世に飛び出してしまった。
一歳上の姉がいたから、両親も周囲も男の子の誕生を待ちわびていた。
産気付いた母を病院に託して出張に出ていた父は、女児誕生の知らせに、
落胆の思いを半分抱え、やや重い足取りで帰宅したらしい。
時の記念日生まれの「ときこ」。
父の頭に思い浮かんだのは、そんな名前だった。

母が朝刊で「3歳の○○美香ちゃん、富士登山」という記事を見つけたのは、
出生届け期限当日の朝。
「女の子でも、たくましく育ってほしい」
未熟児同然で小さく生まれた赤ちゃんは「美香」と名付けられた。

それから何十年も経って。
前夜のカウントダウンに始まって、当日朝から深夜、そして後夜祭まで。
本当にたくさんの「おめでとう」をいただいた。
数秒でも数分でも数時間でも。
その時だけは自分のことを想ってくれる仲間がいるということは、
こんなにも心強い。
こういうささやかな気遣いこそが、人繋ぎ、ハート繋ぎの原点なのだと痛感した。
自分の周囲にいる人が皆「ほんの少しの思いやり」を大事にする人ばかりだからこそ、
今の自分に足りないものを、日々学ばせていただける。

いくつになっても「おめでとう」を言っていただけるのは、本当に嬉しくて。
いただいた愛の数だけ、皆さんにも愛と感謝を贈ります。
この世に生まれたことが、最大の贈り物。

生誕祭


Without waiting for the due date of around end of the rainy season, I had
jumped into the world much sooner.
Because they had one-year-old daughter, parents and family had been
waiting the birth of a boy.
My father entrusted the production noticed mother to hospital and went
out on a business trip.
He had returned home with a heavy gait, hearing the news of the girl birth,
while holding a discouragement of thought.
He will name a girl "Tokiko" of born on the anniversary of time.
He did not have any other idea.

My mother found an article in the morning paper that was; " Mika of 3-year-old,
climbed Mount Fuji."
It was a morning of birth registration deadline day.
"Hope growing up strongly in the girls."
A small baby of prematurity was named "Mika".

Then in later decades.
It was from on the eve countdown, continued through three days until next day.
"Congratulations," has been awarded from a lot of friends.
Even in a few seconds, even in a few minutes, even in hours.
The fact that I have fellow that only think of me at that time, is so much reassuring.
Only this kind of modest concern, connecting people, is the basic of the mind
connection.
Because people who are on the periphery to care of someone with "a little bit
of compassion",
I can thereby learn every day those that I do not have enough right now.

We feel really happy if we receive "Congratulations" even in any age,
After I received your love, I also send my love and gratitude to everyone.
Born in this world was the biggest gift.

生誕祭 (1)


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雪山 (4)


小学校2年生の時、生まれて初めて、スキー板をかついで山に登った。
体育大出身の先生がコーチを務め、毎日能力別に班分けをする厳しい合宿だった。
数十人いた生徒のなかで、どうしても抜けない男子2人が前にいて、私のゼッケン番号は
いつも「3」だった。

寒いのは苦手なくせに、学生時代は2メートル級のスキー板を履いて、雪山に通った。
社会人になってからは、スノーボード三昧で、日本全国の雪山を滑った。

極寒のニューヨークに住むようになってから、冬は「風邪を引かないように過ごす」ことに
精一杯で、ウィンタースポーツからはすっかり遠のいてしまった。

スキーを再開したのは、つい2年程前。
子供達をスクールに入れて傍で見ていたら、自分が教えた方が早く上達するのではと
錯覚してしまった。
最初は恐る恐るだったけれど、自転車に乗るのと同じように、スキーも身体が覚えている
のだと、身を持って感じた。

しかし、さすがにこの寒さだけは、身体も覚えてはいなかった。
かつて羊蹄山を臨む山荘で、海鮮丼を食べた時、マイナス20度だったのを覚えているけれど、
今回登った雪山の頂上は、マイナス30度近く。
常夏のハワイの光景が朦朧とした意識の中に見え隠れして、慌てて山を下りた。

雪山 (1)


When I was in second grade, I experienced my first skiing.
Physical education large-born teacher served as a coach, it was a tough
training camp for the team divided daily by capability.
Among a couple of ten students, there were two boys that I could not reach
over their skill, and my bib number was always "3".

Though I didn't like the cold weather, I went up the snowy mountain with a
2 meter-class ski when I was a student.
From getting to the society, I was crazy for snowboarding and slided down
the snowy mountains of almost in Japan.

After I moved in frigid New York, I spent "not to catch a cold in winter, I was
utterly farther away from winter sports.

I resumed skiing two years ago.
When I saw my kids in ski school at the mountain, I felt that they progress
more quickly if I taught them.
Initially I was gingerly, but I felt my body remember skiing, same as to ride
a bike.

However, my body had not even remembered truly this cold.
Once when I ate the seafood bowl at the lodge of the top of the mountain
in Hokkaido, it was minus 20 degrees Celsius.
But the snowy mountain in Pennsylvania was near with minus 30 degrees
Celsius.
I got down from the mountain in hurry when I was faint in consciousness.

雪山 (2)


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私の母が4歳の時、祖母のお腹の中には一番下の妹がいた。
妹の誕生を知らぬうちに、祖父は他界した。
母のすぐ下には2歳下の妹がいて、つまり祖母は、女手一つで三姉妹を育て上げた。

計り知れない、たくさんの苦労があったと思う。
計り知れない、たくさんの知恵と愛で生き抜いてきたのだと思う。

以来、私の一族では、女性が働くのが当たり前となった。
価値観や生き方はひとそれぞれだから、何が良いか悪いかということではない。
ただ、いざという時のために、女性が一人でも生き抜く力をつけようとすることを、
世の中の人がもっと認めてほしいと思う。

祖父は、シベリアで戦死した。
優秀な技術技能の腕を認められて抑留されて、最後は餓死だったらしい。

非業の死を遂げた祖父がいたから、今の私達がいる。
餓死した祖父の孫世代、、私達いとこの多くが、飲食という仕事に
何らかのかたちで関わっているのも運命だろうか。

食べること、命あることに感謝する今日この日。
毎年必ず、靖国神社にお参りに行ってくれる姉弟やいとこ達、ありがとう。
いつかきっと、シベリアの地を訪れてみよう。

1月19日


When my mother was 4 years old, my grandmother was expected for her
youngest daughter.
My grandfather passed away before he knew the birth of her.
My mother had another younger sister; my grandmother brought up her
three daughters alone.

Immeasurable, she resolved a lot of trouble.
Immeasurable, she survived with a lot of wisdom and love.

Since then, in my family, it had become commonplace that women work
in social.
Because values and way of life are various for each person, it doesn't mean
that what is good or bad.
However, for the case of emergency, I want to let people understand that
women work to survive themselves.

My grandfather was killed in Siberia at World War Ⅱ.
He was recognized for his excellent technical skill and was detained.
The last, he seemed to have been starved to death.

Because there was our grandfather who made a violent death, we are
here now.
We are grandchild generation of the grandfather who starved to death.
It is the wonder fate that most of my cousins involved the business called
Food and Beverage in some way.

On that day, I especially thank for eating and a certain life.
I thank for my siblings and cousins who go to Yasukuni shrine for pray
every year.
Someday, I want to visit the place of Siberia.


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アラカルト (1)


デビュー以来ずっと愛しているドリカムが誕生した1989年。
「ア・ラ・カルト」の公演は同じ年に始まった。

私が芝居に興味を持ったのは、22歳の時に他界した友人の影響だった。
10代後半の多感な時期から、彼女と一緒にいくつもの芝居を観に行った。
役者たちの息づかいを目の前に前に感じながら、たくさんの感情移入をして、
たくさんの涙を流した。

以来、芝居や歌舞伎を観に行くことは、私にとってちょっと特別なこと、になった。
彼女との思い出を共有できる唯一の繋がり、そして追悼の想いもこめて、
舞台を眺める。

「ア・ラ・カルト」の舞台を観に行くことは、もはや季節の風物詩となった。
一年に一度だけ恋人に会いに行くかのように、冬がやってくると高揚した
気分になる。
実在のレストラン「ブルギニオン」のメニューが垣間見られるのも楽しみのひとつ。
たくさん笑って、心の大掃除をしてもらった。

テレビやネットがいくら発達しても、私が人と直接会うことにこだわり続けるのは、
芝居を観るのと同じで、そこにいる温度を直に感じたいと思うから。
円形劇場がなくなっても、きっと「ア・ラ・カルト」」はどこかで復活してほしい。

新年が明けてすぐの1月9日、友人はその短い生涯の幕を閉じた。
彼女には、もう会えない。

アラカルト (3)


My favorite musician “Dreams Come True" was born in 1989.
The theater performance of "a la carte" has started in the same year.

The reason that I was interested in theater play was influence of my friend
who passed away at the time of the 22-year-old.
At impressionable period from late teens, I went to watch some of the theater
play with her.
While I was feeling the breath of actors in front of eyes, I had a lot of empathy,
and shed a lot of tears.

Since then, to go to watch theater play and Kabuki became little special for
me.
It's only connection that can share the memories with her, and I watch the
stage with feelings of mourning.

For me, going to watch a stage of "a la carte" has become a tradition of the
season.
As if going to see lover only once year, I feel excited when winter comes.
One fun also is that we glimpse the menu of real restaurant "Bourguignon".
I had be housecleaning of mind by laughing.

I want to stick to meet directly with the people, even though TV and net are
developed much.
Because I think I want to feel the temperature there directly, same as
watching a play.
Aoyama amphitheater is no longer available for "a la carte", but I would like
to let them revival somewhere.

On January 9th, my friend closed the curtain of her short life.
We are not able to meet her here.

アラカルト (4)


Copy_right @ Brochure of "a la carte" 2014

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一年越しの約束 (1)


たったひとつの音楽が、人の人生を救うことがある。
生きる力を与えることがある。

重い障害を持って生まれた娘を抱えて、人生を諦めてしまおうかと行き詰まった。
何度も足を運んだ高層ビルの屋上で、フェンスの向こうに天国がある気がした。

デビュー以来ずっと追いかけていたあの歌声に、娘が嬉しそうに反応した時の
ことは忘れない。
その歌声に、私と娘は命を救われた。

「いつかきっとまた会えるから」
最愛の人をなくした友人に、私は何も出来ることがなかった。
でも、彼女の歌声なら、きっと友人を救えるはずだと信じていた。
「いつか一緒に聴きに行こうね」
それが約束となった。

この日の、この時のために、たくさんの人が動いてくれた。
約束を果たせたのは、彼を愛し抜いた彼女の生き様があったから。

人は一人では生きていけない。
たくさんの感謝と、たくさんの愛をこめて、ありがとう。

そしてまたひとつ、次の目標が定まった。

一年越しの約束(6)


Sometimes only one music save a person's life.
Sometimes it makes the power to live.

When I was suffered from a born daughter with a heavy fault, I was almost
to give up my life.
I climbed up to the roof of a high-rise building many times and I thought there
was heaven to the other side of the fence.

There is a music group that I had been chasing ever since debut.
I never forget when my daughter was happily reaction to its vocal.
My daughter and I were saved the life by her singing voice.

"Someday you surely meet him again"
When my friend lost a loved one, I could not do anything for her.
But I believed that her singing voice could save my friend.
"Let us go sometime together to listen her voice."
That became a promise.

Of this day, for this time, many friends helped me.
I was fulfilled the promise, because I was impressed that she loved him deeply.

People cannot live alone.
With a lot of and appreciation and a lot of love, I thank to my friends.

Also I have set the next goal.

一年越しの約束(4)


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厳しい寒さの続くニューヨークから脱出を試みた。
全米に影響をもたらしたスノーストームで、空の便もキャンセル続き。
缶詰めになった空港で、夜を明かす覚悟もしたが、
明け方近くになって、ようやく目的地に到着した。
期待外れの寒さ。気温3度。

友人家族と合流した後、午後からようやく活動開始。
サンクスギビングホリデーで、どこも大変な人だかりだった。

見上げた月明かり。
その背後に佇んだ光景に、思わず息をのんだ。
人工的な美しさとはいえ、これほどまでに美しいライトアップを間近で
見たのは初めてだった。

誰もの夢が叶う場所。
「私が見えているものすべて 大好きなあなたにも見せたい」
この景色を、どうやって伝えよう。

WDW (1)


I tried to escape from New York followed by a severe cold.
In Snow Storm that led to the impact on the United States, many air flights
were canceled.
I had to wait at the airport for long time and was ready to stay over the night.
But it became near dawn, and finally I arrived at the destination.
It was unexpected cold, with the temperature 3 degrees.

After I joined with friends family, finally started activities from the afternoon.
During the Thanksgiving holiday, everywhere was great crowd.

I looked up the moonlight.
I turned to see the behind, and gasped involuntarily.
This was the first time that I saw up such a beautiful lighting in front of me,
although it was the artificial beauty.

"Where dreams come true" was the theme of Walt Disney world.
"I want to show you everything I see, the way I'm feeling."
Please let me know how to tell this scene.

WDW (3)


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匂いの記憶 (1)
匂いの記憶 (3)


一般的に、人間の味覚は、嗅覚に頼るところが大きい。
かつてソムリエ資格を取るためにワインの勉強をした時も、それは明白だった。
まず目で色を楽しみ、香り堪能し、最後に舌で味わう。
風邪を引いて、鼻が利かなくなると、味わいだけでブラインドティストティングを
あてることはかなり難しい。

私事、事象への記憶力が年々乏しくなる一方で、鼻と耳の記憶、すなわち匂いと
音に対する記憶には自信がある。
出会った人の名前と顔を忘れてしまったとしても、すれ違いざまの匂いや、
声を聞けば、一瞬にして記憶を遡れるから不思議だ。

とはいえ、自分自身を引き立てる香り、いわゆる香水の類には無頓着。
お土産にいただいた香水ボトルはいつまでも目減りしないし、敬愛する調香師が
オリジナルで作ってくださった香水だけを、思い出したように纏うだけ。

日本から視察団が来た時には、ちょっと慌てて香りの勉強をした。
日常的にアロマキャンドルをたいている家庭も多いアメリカでは、日本人にとって
居心地の良い香りとは、若干趣向が違う。
ルームフレグランス代わりのキャンドルが、どこまで日本人家庭に浸透するかは
分からないけれど、新しいことを知ることは本当におもしろい。

また新しい挑戦を、始めてみようかな。
ここからきっと、ワクワクが広がっていくから。

匂いの記憶 (5)

匂いの記憶 (7)


Generally, the taste of human is much relying on olfactory.
When I was studying wine in order to take the sommelier qualification
before, it was obvious.
First, we enjoy the colors with the eyes and enjoy fragrance then, and
taste in the tongue at the end.
When we catch a cold, it is quite difficult to shed a blind tasting only by
taste since nose becomes not work.

While my memory of the specific thing becomes weak gradually, I am
sure of the memory of the nose and ears, that is, sound and smell.
It was amazing that even though I forgot the names and faces of people
I met, my memory came back when I got the smell and the voice in
a moment.

But still I am indifferent for the kind of so-called perfume that
complements oneself.
Perfume bottles I received as souvenir remain forever, and I only wears
as remembered, the perfume that my adore perfumer made for me before.

When my clients came from Japan, I studied of scent in a hurry a little.
Many people use the aroma candles on a daily basis at home in the
United States.
In many cases, the cozy smell is slightly different from Japanese.
We do not know whether the room fragrance candles penetrate to
Japanese family.
But knowing new things is really interesting.

I assume to start a new challenge.
Surely, something excitement will spread from here.

匂いの記憶 (4)

匂いの記憶 (12)

匂いの記憶 (13)
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毎年この日は、突き抜けるような青空が広がって、
いつもにも増して空気が澄んでいて、
こんなに爽やかな日がずっと続けばいいと錯覚していた。
でも今日は、どんよりとした雲が広がって、空は今にも泣きだしそうな顔をしている。

人生で辛い経験をしてきた人ほど、過去のその記憶に蓋をする能力が高いらしい。
歳を重ねていく老人が、少しずつボケていくことでさえ、
自分の死を意識から排除するための、自己防衛能力であるという。

日常的な出来事を、おそろしい勢いで忘れていってしまう私だけれど、
この日の記憶だけは、忘れようとしても忘れられない。
忘れてはいけない。

犠牲になった方々の名前が読み上げられる。
あの日から13年。

ベビーブームで誕生した子供達は今月からミドルスクールにあがり、
一学年15クラスという公立校も誕生した。
いまだに苦しくて足を運ぶことができないあの場所にも、フリーダムタワーがそびえたっている。
時間は確実に流れて、街もきちんと生きている。

それでも、忘れてはいけない。
人間の生命の重みと、あの悲しみを。

デジャブ (1)


On this day every year, blue sky spreads and penetrates to the firmament.
Air is clear than ever to always,
I had the illusion it should continue the day so refreshing.
But today, clouds spread and the sky has the about-to-cry face

I heard that the people, who had the painful experience in their life, had
higher ability to cover to the memory of the past.
The fact that old men go little by little blur, is self-defense capability to
eliminate consciousness from their death.

I always go forgotten the day-to-day events, in the ultimate one moment.
The only memory of this day, I cannot forget if I try to forget.
We should not to forget.

The name of the victims is read aloud.
It passed 13 years from that day.

Children who were born in the baby boom went up to the middle school from
this month,
Public school with 15 classes of first grade was also born.
Also in that place that I cannot go by still painful, Freedom Tower is towering.
Time flows surely, the city also live properly.

Still, we do not forget.
That’s the value of human life, and the sadness.

デジャブ (2)
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42nd Street


日没後の空に、クライスラービルディングの夜景が映えていた。
自宅からたった3キロほどしか離れていないのに、久しぶりに観るアールデコの曲線に、
ふと涙がこぼれそうになる。

将来の不安を抱えながら、インテリアの大学に留学していた頃を思い出す。
国連本部の前、有名な42ndストリート近くに住んでいたのに、華やかな街を観るのが
しんどくて、夜空を眺めることなく、ひたすらに課題に取り組んでいた。

目の前にある問題を、自力でひとつひとつ解決していくこと。
それだけが、人生を切り開くキッカケになる。
待っているだけでは、何も始まらない。
誰かに頼って、幸せにしてもらうのではなく、自ら進んで人に与えることだけが、
いずれ幸せを運んでくる。
あの頃は、そんな当たり前のことさえも、手探りだった。

ないものねだりはやめて、「今」あることに感謝しよう。
かけがえのない毎日を大切に生きること。
「今」は永遠には続かない。

今日また一人、大切な友を失った。
哀しみを解き放す場所を探して歩いた街の、月明かりの優しさにまた泣いた。

42nd Street_2


I the sky after sunset, I looked up the night view of the Chrysler Building.
It was only about three kilometers from my apartment, my tears were
about to be spilled suddenly when I saw the curve of Art Deco.

I remember the time that as at a college studying the interior while
anxiety of the future.
Although I lived in the famous 42nd Street in the front of the UN
headquarters、I was working on challenges intently without having to
look at the gorgeous city and the night sky.

I try to solve the problem in front of the eyes by myself.
It just becomes an opportunity to carve out a life.
If I just for waiting, nothing does not start.
Relying on someone else, rather than have them happy, only be given to
people to voluntarily, it brings happiness either.
I was fumbling for even of such a commonplace.

I do not ask the impossible, let me grateful that it is "now" .
To live in an important place every day irreplaceable.
"Now" will not last forever,

I lost an important friend also today.
While I walked looking for a place to cast off the sorrow in the city,
I also cried by the kindness of the moonlight.

42nd Street_3
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半世紀1


1989年のデビューから25年目を迎えても、まだなお新しい活力を与えてくれる。
何かに夢中になって、一生懸命に生きることが、シンプルに美しいと教えてくれる。
好きなものには100パーセントの熱意を注ぐ。
具体的に行動するパッションだけが、人の心を動かすのだと。

一緒に共有した音楽も時間も、この夏最高の思い出をありがとう。

半世紀2


Even celebrated 25 years since their debut in 1989, they still give
us a new vitality.
They can tell us that our life would be beautiful to live in simple, with
passion to addict to something.
We pour the enthusiasm of 100% to what we like.
Only passion to act specifically can move the hearts of people.

We shared the best music and time, thank you for the memories of
this summer the best.

半世紀3

半世紀4
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高潔1


トライベッカにあるレストランで、ナオミ・ワッツ氏を見かけた。
あまりに自然にふるまう姿に、大女優であることに暫く気付かなかった。
映画ポスターで見かけた彼女の微笑みは、ダイアナ妃そのものだったというのに。

1997年8月30日、奇遇にも私はパリに向かうフライトに乗務していた。
機長から訃報が入ると、同乗していたロンドン基地のクルーが泣き崩れた。
通常、そのような機内アナウンスは実施されないが、機長の判断で、第一報が流された。

映画「ダイアナ」のラストシーンで流れた言葉に釘付けになった。
「善悪を越えたところに庭園がある。
そこで会いましょう。」

幸せの基準は人それぞれだけれど、彼女の生き方は高潔だった。
もらうことよりも、与えることを考えよう。
人間は一人で生まれて、一人で死にゆくものだけれど、
人の心で生き続けられることが、本当は一番幸せなのかもしれない。

高潔2


I saw the actress Naomi Watts at the restaurant in the Tribeca;
I did not notice for a while that this is a great actress since her figure
behaved too naturally.
The smile of her I saw the movie poster was just same as Diana,
Princess of Wales itself.

August 30, 1997, I was the flight crew that went to Paris to coincidence.
When obituaries entered from the captain, a crew from London base
cried down.
Usually, in-flight announcement was not performed for such case, but at
the discretion of the captain, the first report had been washed away.

I was freezed to the words that flowed in the last scene of the movie
“Diana.”
From the poet Romi;
"Somewhere beyond right and wrong, there is a garden.
I will meet you there."

The criteria of happiness is different for each people, but the way of her
life was virtuous.
We should think to give than to receive.
People born alone and dying alone.
The happiest thing might be that people can alive in the hearts of people
forever.

高潔4
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贈り物はタイミングが肝要。
贈りたい人に、贈りたいモノを、贈りたいタイミングで。

自分が贈ったモノは、今すぐ目の前で使ってくれるのが一番嬉しい。
今その人にとって必要なモノを探し当てたという達成感が、贈った側の心を温かく満たしてくれるのだと思う。

日常のなんでもない時に、ふと贈り物ができる人を、かっこいいと思う。
日常的なモノを、日常のワンシーンでふと贈られる時の驚きと喜び。

受け取った時、それを手にする喜びはもちろんだけれども、贈ってくれた人が、いつどんな時にどんな気持ちで選んでくれたのか、その時間を想うことが何より嬉しい。

それなのに、ホリデーシーズンがこんなに悩ましいのは、贈らねばならない義理ギフトが山のようにあるからだろうか。

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Timing is very important for gifts.
I send gifts to people I want to give, at the timing I want to give, things
that I want to give.

I'm very happy if someone uses my gift right away.
I think a sense of accomplishment that people locate the proper thing for
him/her now let them warm the hearts of the side which it gave.

I think people who give gifts suddenly anything of the day-to-day are very
cool.
If people get daily necessities gift on scene of day-to-day, it would be
and delight.

When I received it, of course my pleasure is to get it.
At same time, I'm glad more than anything to think the time that how and
when he/she choose it.

Yet, I wonder the holiday season's annoying me so much, because I have
to think many gifts-in-law.

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学生時代は暗記が得意だった。
漢字や年号を何度もノートに書いて練習するよりも、黒板に大きく書いた一文字をじっと見つめるだけで、脳がすべてを覚えてくれた。

時を経て、世の中の表と裏をたくさん知るうちに、記憶力の乏しい人間になっていた。
嫌なことは記憶の彼方に追いやることで、世の中を諦めないで生きてこられた。
驚くほど記憶力の良い人達を目の前にして、彼らがずば抜けている訳ではなくて、いかに自分が劣等なのかと気付いて落ち込むことも多い。

しかし、時を経ることで、強く深くなる想いもある。
胸に刻んだ記憶よりも、ずっと高まる想いがある。

忘れてはならない、あの日の想いを。
12年前の晴れ渡った青空を、私達は忘れない。

307


I was good of memorization at school.
Than to practice writing in a notebook many times the Chinese characters
and the numbers, I just staring at big letter I wrote to the big blackboard,
brain gave me to remember everything.

As I over time, knowing a lot of things of the world, I had become a human
being of poor memory.
Since I put something bad in the distance of memory, I had come alive
that I did not give up the world.
When I see the people with good memory surprisingly, I am aware of
myself no matter how I inferiority.

However, by going through the time, there is also thought to be deeply
stronger.
Than the memory I memorize in my heart, there is a growing feeling
much more.

We should not be forgotten the thought of that day.
We will not forget the blue cloudless sky 12 years ago.

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昭和中期に建てられた木造平屋の都営住宅。
風呂もない1Kの空間に、一家五人で暮らしていた頃の話。
決して裕福とはいえない所帯がはびこる集合住宅で、子供の日が近づくと、我が家の庭先にはたくさんの人が集まった。

長いこと周囲でも女児誕生が続き、久しぶりに一族に男の子が誕生したと聞いて、父方の祖父が速攻で贈ってきた五月人形と鯉のぼり。
古く大きな梅の木がたつ裏庭で、垣根を越えて隣家の屋根をも覆ってしまいそうなほど長くて大きな鯉のぼりだった。

離れて暮らした祖父との思い出はあまり多くはないけれど、この季節になると決まって思い出す祖父の武勇伝の数々。
五月の空を泳ぐ鯉のぼりたちに、小さな夢をのせて願っていた。
誇らしき日本の文化の数々、大切にしようと思う故郷の調べ。

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It happened at a Metropolitan housing of wooden bungalow built in the
mid -Showa.
There was a story when I lived with my family at the space of 1 bedroom
without bath.
In the apartment building households that can’t be said to be wealthy
infested never, when Children's Day approaches, many people gathered
in the garden of my home.

When my brother was born to my family, while after girls were born
continued for a long time around, my grandfather sent a carp streamer
and May dolls.
It was a big carp streamer long enough in the backyard that a large and
old plum tree stands, likely also would covers the roof of the neighbor
across the fence.

I don't have many memories of my grandfather who lived apart, but this
season reminds me a lot of his story every year.
I was hoping to put a little dream to the carps that swim in the sky.
I am proud of Japanese culture and air in my hometown.

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314188_2576170379225_124819711_n






























20年前の冬、大切な友人を失った。
何日も食事が喉を通らないほど悲しかったくせに、彼女の気持ちにはどうしても寄り添え切れなかった自分がいた。
病気や怪我や事故で、生きたくても生きられない人がいる。
自ら生きることを放棄することはできない。
あの時の想いが、今の私を生かしてくれているのだとつくづく思う。

娘の死をずっと受け入れることが出来なかった御両親。
20年という歳月を経て、ようやく納骨の儀を終えて、私は初めて彼女の墓前に手を合わせることができた。
これまで一日たりとも彼女のことを思い出さない日はなかったけれど、これからはもっと気軽に彼女に会いに行けるようになる。

その翌々日、あの時の仲間がまた一人、他界した。
病と闘う姿を知って以来、どうにかして想いを伝えたいと願ってきた。
金環日食に想いを馳せて、仲間を総動員して、祈りが届くように天を仰いだ。
弱っていく姿を見せたくないという彼女の想いを汲みながら、そっと遠くから見守った。
彼女の最期は、どこまでも凛として、強く美しかった。

人生は長短でないから。
彼女も彼女も、ぞれぞれの人生を精一杯に生きたのだと思う。
肉体は滅びても、想いは必ず繋がっていく。
私はもう少しここで踏ん張って生きていくから、天国で待っていてくれるかな。
どうしようもない喪失感と戦いながら、それでも前に進まなくてはと思う。

涙でかすんだ冬のプロローグ、想いよ永遠(とわ)に。

DSC05856






























I lost a dear friend in winter 20 years ago.
I was so sad that I could not eat more than a few days, but I could not feel
her heart in direct.
There are people who can’t live more even if they want to live, cause of
illness, injury, or accident.
I can’t give up to live my own.
I think the feeling of that time let me alive, and I am here now.

Her parents were not able to accept the death of their daughter for long time.
They finally finished the ceremony of burial after the years of 20 years, and
I was able to go to see her grave for the first time.
I have been always reminded her every day so far, and I am now able to go
to see her easily.

After the next two days, a dear friend, who was a companion at same
time, passed away.
I had been hoping to tell her our friend's feelings since I had known the
figure of her fight disease.
I thought about it with annular solar eclipse, asked the fellow to mobilize,
and looked up to the sky prayer so that I could reach her.
We have watched her quietly from a distance, while we thought her feeling
that she didn't want to show up go weak.
Her last moment was very dignified, strong and beautiful.

Life is not a long-and short-term.
I think that she and she were a life lived to the fullest of their respective.
The body may perish, thoughts will always be connected.
I wonder if they would wait for me in heaven since I will alive to fight little
more here.
While the fighting with the sense of loss can’t be helped, I think I have to
move forward.

This is my winter prologue filled with tear.
I wish the feelings will continue forever.

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101

2012年7月27日、それは奇跡ともいうべき出会いだった。
誰かがあらかじめ仕掛けてくれたわけでもなく、無理な力を出して近づいていったわけでもなかった。
たくさんの偶然が重なって、あまりにも自然な流れだったらから、構えることなく話をすることができた。
いつか直接お礼を伝えたいと、ずっと想い続けていた。

「私の方がいっぱいパワーをもらったよ。ありがとう。」
力強く抱きしめてくれたその腕の感触を、私は一生忘れない。

「あなたの歌声で命を救われました。今こうして空を見上げられることに感謝しています。心からのありがとうを伝えたくて。」

出会い。それは、美しくも儚い。
でも、確実に、次の夢へつながるパッションになる。
ゆっくりでいい。ここからまた少し、歩き出してみよう。

117

It was the meeting which should be called miracle on July 27th, 2012.
There was no trick someone put in advance, or there was no mean
approaching the impossible from myself.
Since a lot of overlap by chance, and it was a natural flow too, we were able
to talk without having a set up.
To thank her directly someday, had been much my thought.

“Thank you. I got a full power from your way.”
I will never forget, the feeling of her arms hugged me strongly.

“Your voice saved my life. I appreciate I can look up at the sky now.
I wanted tell my heartfelt thanks to you.”

The encounter is beautiful and ephemeral.
But, surely, it will lead to passion to the next dream.
Slow is good. Little by little, let me walk out from here.
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019

日本へ行く機内で映画「麒麟の翼」を見た。
邦画を見るのは久しぶりだったが、父が息子に残したメッセージは心に響いた。
「勇気を持て」「真実から逃げるな」「自分が正しいと信じたことをやれ」

20年以上も前から恋い焦がれていた金環日食の天体ショーを目前にした時、本当は逃げ出したいくらい怖かった。
もし奇跡が起こらなかったら、私はこの先いったい何を想い描いていけば良いのだろうか。
もし思いが伝わらなかったら、その先の未来はどこに向かっていくのだろうか。
神様、私に勇気をください。何度も繰り返したこの言葉と、冒頭の台詞が重なった。

2012年5月21日。世紀の瞬間に立ち会えたことに、感謝。
思えば叶う。信じて前に進んでみよう。
2030年北海道で、また奇跡が待っていると信じたい。

020

I watched the movie "The wings of giraffe" on the plane flying to Japan.
It was rare chance that I see the Japanese movie, but the message that
was left to son from father was echoed in my heart.
"Be brave."
"Face up to the truth."
"Do what you believe is right."

When I was going to see the show annular solar eclipse that I had been
dreaming more than 20 years, I was very scared and really wanted to run
away.
If the miracle won't happen, how will I figure the future?
If I won't tell my heart to someone, where will the future go towards?
The words "God, please give me courage.", that I repeated again and
again before, overlapped with the three sentences of the movie.

I thanked I met the moment of the century on May 12th, 2012.
I think some strongly to come true.
Let's believe and move forwards.
I believe that another miracle is waiting for us in Hokkaido in 2030.

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19


日本中の誰もが忘れられない日となった3月11日。
1年前のこの日、日本中の誰もが半年後どころか数か月後のことさえ予測のつかない、不安な気持ちでいっぱいであっただろう。
命を落とされた数多くの方々とその御家族、被害に遭われた多くの方々が今なお復興への道を辿っていらっしゃることを想うと、無念でならない。

9年前の同じ日、故郷遠く離れたニューヨークで、私は孤独だった。
数え切れないほどの疾患を持って生まれた我が子を抱きかかえ、途方に暮れて、生きる気力さえも失いかけていた。
先の見えないトンネルを彷徨い、寝食を忘れ、どうやって生きていたのかすら記憶にない。
それでも時間が流れたのは、遠く離れた故郷から、そして近くにいる米国から、小さな愛の片鱗をひとつひとつ確実に受け取ることができたから。

昨年の3月11日、私はまた途方に暮れた。
壮絶な映像を映し出すテレビ画面は映画のワンシーンのようだった。
故郷がなくなってしまうのではないかという焦燥感。
眠れない夜を過ごしながら、自分の無力さを感じていた。
故郷を離れている私に、今ここで何が出来るだろうか。

あれから1年という時間が流れて、少しずつ日常を取り戻し、今という時を過ごしていることが、どれほど幸せなことか、日本中の誰もがかみしめているに違いない。
絶望の淵に立った9年前を思い出し、何とか生きる希望を持てた自分の足跡を懐古する。
今こうして前を向いて生きていられることが、どんなに幸せなことか。
当たり前という常識のなかでしか生きられないと思ったあの頃から、少しは成長できただろうか。

震災で犠牲になられた数多くの方々の御冥福をお祈りいたします。

そして愛する娘に、
お誕生日おめでとう。

18

“March 11th”, an unforgettable day for everyone in Japan.

On this day one year ago, everyone in Japan was in the feeling of anxiety.
People would have been thought of unpredictable even after a few months
let alone six months later.

I have been bitterly chagrined thinking many victim people and their families.
And large numbers of people who have damaged their lives has come and
follow the road to recovery even now.

On the same day nine years ago, I was lonely in New York far away from
hometown.
Holding my daughter born with the disease of countless, I had been losing
energy even for living.
I forgot to eat and sleep since I was in the tunnel without the light.
Even I didn't remember how I was alive.
The time has flow, along with I could receive a glimpse of love from both my hometown and the United States.

On March 11th of last year, I also was at a loss.
TV screen video that reflected the disastrous scene was like a scene from a movie.
I was frustrated that my hometown would disappear.
While spending a sleepless night, I was feeling the powerlessness of my own.

After one year, we regained the everyday little by little.
No doubt, everyone in Japan might feel happy that we are now.
Recall nine years ago I stood on the brink of despair, I had nostalgia in the
history of my hope for living somehow.
From those days that I thought I could live only among the common sense, have I grown a little?

I sincerely pray for the large number of sacrificed people in the earthquake.

And then,
Happy Birthday to my dearest daughter.
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mill-3

大阪にある父方の実家は、祖父の時代からメリヤス工場を営んでいる。
安い中国製品の導入により、メリヤス工場の需要は現在ではすっかり縮小されてしまったが、私が幼少の頃は、それなりに大きな工場が近所にもたくさんあった。
大きな裁断機やたくさんのミシンが置かれた工場は、まるで体育館のように広かったし、2階には工員さん達の下宿する小さな部屋がたくさん。
迷路のように長く続く廊下は、子供達にとっては格好の遊び場であった。

自由奔放で我が儘したい放題の祖父が会社を興したが、朝から晩まで灯火のもとでミシンを踏み続けた祖母の支えがなければ、今の私も生まれてはいないだろう。
明治生まれの祖母は、辛いことがあっても決して人前では泣かない、箪笥の陰でこっそりと泣く「明治の女」だった。
お正月は大阪で過ごすのがかつての我が家の慣習であったが、祖父が他界した後、私達家族は東京で新年を迎えることが多くなった。
いつも姉弟や従兄弟達と共に行動していた私にとって、祖母と二人きりで過ごした思い出は数少ない。

ある夏、工場で働く祖母を陰からのぞいていると、彼女が手招きをした。
「おばあちゃんはな、小さい頃からずーっとミシンを踏んでいたんや。だから、孫達に伝えられることなんて何もない。でもハサミの使い方だけは教えてあげられる。」
「ハサミがよう切れんかったら、あかん。仕事はちっとも進まへんよ。裁縫も料理もおんなじや。刃物だけは、ええものを使いや。」
「おばあちゃんはな、仕事で贅沢は言わへんけれど、ハサミだけは、ちょっとだけ贅沢してええ物を買うてるんよ。美香ちゃん、ひとつあげるわ。内緒やで。」

祖母は3年前に他界、97歳の大往生だった。
箪笥の陰でこっそり泣く一方、頑固で強靭な芯を持っているのも明治女の気質だったのかもしれない。
良い物は時代を超える、祖母が教えてくれた。
明治生まれの祖母が愛用した糸切りバサミは海を渡り、時を超えて、30年以上も私の傍で働いてくれている。

我が家の小さな家宝の物語。

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Paternal family home in Osaka, runs a knitting mill from the age of my
grandfather.
With the introduction of cheap Chinese products, the factory had been
completely reduced.
But there were a lot of big mills in the neighborhood when I was childhood.
The factory with the big cutting machine and a lot of sewing machine was
as wide as the gymnasium, and there were some extra rooms for the
workers on the second floor.
Long corridor was like the maze, and it was as if the playground for children.

My grandfather, selfish free-wheeling man, established his company
before, but if there was not grandmother's continued support stepping on
the sewing machine under the lamplight from morning till night, I was not
here.
My grandmother was born in the Meiji Era, and did not cry in front of people
if she was even in painful.
She was a "woman of the Meiji Era," secretly cry in the shade of a chest of
drawers.
We had a convention of former home to spend the New Year in Osaka.
But after our grandfather died, our family got a lot to welcome the New
Year in Tokyo.
I was always acting for my sister, brother and cousin together, so my
memories spent alone with my grandmother were very few.

One summer, when I was watching my grandmother working in the mill
from the shadow, she was beckoning me.
"Come on here, Mika. I had stepped on a sewing machine from childhood.
So, I have nothing to teach you, my grandchildren." she said.
"But only I can tell you how to use the scissor."

"If you use a bad scissors, everything won't go well.
Both cooking and sewing are same.
Just use the good cutting tool."
"I do not say to a luxury in my work.
But for only scissors, I have to buy the best one.
I'll give you one little luxury in secret."

My grandmother passed away three years ago, 97-year-old was a large
death.
Meiji women secretly dropped the tears behind the chest of drawers, but
other hand, they might have mind of a stubborn and tough core.
She taught me that Good thing live more than the age.
The thread trimming scissors, which was loved by my grandmother, born in
Meiji Era, crossed the sea beyond the time.
It's still working by my side more than 30 years.

This is the story of a small treasure of my family.


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幼い頃からの器用貧乏。
なかなかひとつのことに熱中し続けられない私が、1989年のデビュー以来、
20年以上にわたって変わらずに愛し続けている音楽がある。
学生時代は「これこそが私のテーマソング」と毎日のカンフル剤代わりに
聞きまくり、山あり谷ありの社会人生活も、彼らの歌声と共に駆け抜けてきた。
30代前半、ふと人生を諦めてしまおうかと思った時、彼女の歌声に救われた。

音楽とは不思議なもの。
絶対的な価値以上に、個人の想い入れが重なり合って、その人にとって
唯一の思い出となって生き続けるのだ。

四年に一度きり。
今年もまたこうして彼女の歌声を聞けたことを、本当に幸せに思う。
今の自分は、四年前と比べて少しは進化できているだろうか。

いつか直接会って、御礼の言葉を伝えたい。
「あなたの歌声に、命を救われました。ありがとう。」

ささやかで、壮大な、私の夢のひとつ。
Will my dreams come true ?

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From an early age jack-of-all-trades and master of none.
I can not continue quite addicted to one thing, but I love one group
continues unchanged for over 20 years since its debut in 1989.

I listened their music with saying "This is my theme song," to get a daily
energy in my school life.
I spent my social life with their music.
When I thought I had to give up my life suddenly in early 30s, I was saved by
her voice.

Music has a mysterious attractive.
Than absolute values, overlapping into personal feelings, it will live in
people's mind forever.

Only once every four years.
I felt really happy that I could hear her voice again this year.
Would I have been able to evolve, compared with four years ago ?

I would like to meet them directly to convey a word of thanks.
"I appreciate that your voice saved my life seriously."

One of my dreams is very small and very spectacular.
Will my dreams come true?

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